2016年07月
2016年07月29日
森吉山 「菅江真澄遊覧記」より
秋田県の山について書かれた部分を読む
すがえますみ は
江戸時代半ばから後半に紀行を表す
司馬遼太郎「いまでいえば科学者であり
文学者であり、また人類学者だった」街道を行く41
んだんだ文庫ブックレットが分かりやすい
唯一種類のこる自画像
森吉山 もりよしざん △1454.2㍍ 真澄は2度登る
・1802年(49歳)10月16日 松倉口から前岳往復
・1805年(52歳) 8月10日 様田口ー戸鳥内口コースか?
1970年頃 友人S君と登るが記録が無く、確かめようもない
10月16日二の俣(北秋田郡阿仁町)の集落から人にさそわれて登った。三の俣
の神社に幣を奉って一の懸の鳥居をくぐり、アキグミをとって食い歩く。
鉱山で使用する灯火用の竹を伐る人たちの小屋のたくさんならぶ、ぶな台からもろみ台を通り松倉にでる。中岳のくぼんだ所には人々から尊ばれる石の塔という天然の石があった。向岳まではハイマツが続く。
むかしの人が詠んだ「秋田山」はこの山だ。北には八甲田山と岩木山、西には男鹿半島、東には岩手山、南には栗駒山と煙の立ちのぼる鳥海山が見える。
ごろごろと音がして雷鳴かと驚くと旭俣の水上にあるやすの滝の音だという。
紀行「雪の秋田根」
8月9日秋津場(森吉町)をへて様田の継橋を渡り、地主の吉田という人のもとに泊る。
10日雨がやみ、身を清め精進の掟をまもって出発する。竜雲寺をみて空台を過ぎ、祓川に出て、笹の葉に水をつけて身体にふりかける笹垢離をする。一の腰にのぼると秋田の高い山がのこらず眺望できた。神の花畑にはゼンテイカ、オオバギボウシ、ミツバオウレンなど一面にさく。
前岳を伝って下るところには大人(おおびと)という妖怪がおるという。頂上には薬師仏の石像と祠がある。神田という水田のような湿地を通り、とちの木沢(北秋田郡阿仁町)に下る。
紀行「みかべのよろひ」
2016年07月27日
七座山 「菅江真澄遊覧記」より
秋田の山を読み直した
すがえますみ は
江戸時代半ばから後半の旅行家
柳田国男が「民俗学の先覚」と評する
七座山(ななくらやま・七倉山)△287.4㍍
真澄1802年3月9日登る:49歳*旧暦です
2009.7 きみまち阪より撮影
真澄の絵 写本より
下田平(げんだひら・山本郡二ツ井町)の瀬を二つ渡り麻生の村から登る。頂きに出るとたいそう大きな岩屋があり、大きな獅子頭の面がかかる。円仁のつくった権現様として尊ばれていて、ここを権現倉という。
松倉・大倉・三本杉の倉・柴倉・烏帽子倉・正面倉(権現倉)の合わせ七倉山といっている。 ー紀行「しげき山本」-
※歩けなくなると、前の資料を編成し始めるのです。